日程:2016年7月12日~7月18日(滞在日数7日間)
タイからの移動時間:タイ・バンコク~フィリピン・マニラ~パプアニューギニア・ポートモレスビー~パプアニューギニア・ラバウル
飛行時間と待ち時間含めて24時間 大変だったぁ~
訪問した都市(宿泊施設):ラバウル(タクラムロッジ)
万琵が踊った場所:タヴァルヴァル火山山頂、ココポ小学校
<パプアニューギニア・ラバウルの感想>
世界一周を始めて強く思うのは、どうして世界の人はこんなにも親切なのだろう、ということだ。(勿論人をだまそうとしてくる人も日本より会うけど)
パプアニューギニアを終えた地点で出発から4ヶ月くらいだったが(パプアニューギニアにいたのは2016年7月の事)、毎日人の親切に合わない時がない。それは今この記事を書いている現在もそうで、毎日外に出る度に人の明るい挨拶に助けられる。
日本にいたとき、私は旅人に遠くから、HELLO!と声をかけたことがあるだろうか?
WELCOME!と言ったことがあっただろうか。
残念ながら一度もない。
HELLO!と声をかけられることが嬉しいことだとも考えたことも無かった。
WELCOMEというのは、自分の国を愛しているからこそ出てくる言葉だろう。
そんな観念すら無かった気がする。
人の笑顔は知らない土地にいる私にとって最高のサプリメントになり、じんわりと心に染みる。
だが深入りすることの怖さも感じてしまうのは私が人間嫌いな部分があるからだろうか。どんな国にも明るさと暗さはどっちもある。
パプアニューギニアではラバウルに絞っての滞在となった。前の記事にも書いたようにパプアニューギニアには幹線道路というものが整備されておらず、国内であっても飛行機の移動が主になる。宿泊施設は限られていてべらぼうに高いし、国内線の飛行機代も高い。そして私たちが滞在したラバウルにおいては治安面の問題はなかったが、移動中におそわれるという危ない地域があるのも事実だし、警察官や偉い人の汚職もかなりあるとのことだ。現にラスカルに出くわしてひどい目にあったという話も聞いたので、私たちが何事も無かっただけの話なのかもしれない。
病気の問題もある。マラリアにも気をつけなければならない。私たちが行ったときは蚊はそんなにいなかったが。
いろんなことひっくるめて、ラバウルはこの4ヶ月の間に訪れた国の中では別格だった。人々のフレンドリーさにおいても、文化の特異さも、自然の美しさも、むき出しのエネルギッシュさにおいても、ピカイチだった。
ラバウルの人々の笑顔は本当に強い力があり人を虜にすると思う。そして必ず元気をもらう。HELLO!HELLO!!HELLO!!!の合唱だった。
人の豊かさをしみじみと感じた。
そしてそれと真逆して怖い部分も捨てきれない国だった。マスクフェスティバルで見たガラスをかみ砕いて飲み込んだ男性の目は日本で生きてきた私には恐ろしくもあった。crazy・・・強さを見せつける手段がストレートすぎて、もし彼が誰かに敵意を向けたら・・・と思うと体がこわばった。現にパプアニューギニアは部族社会で、部族間の衝突や仕返しといったことに関しては容赦ないという側面もある。
だが彼が醸し出すオーラは場を一瞬にして変え舞踏にも似た雰囲気があった。そこだけぽっかり穴が空いてなにもかも吸い込んで行ってしまいそうだった。
日本人は理性の方が強いと思うが、本能に近い部分で生きている人々の思考は計り知れない。
お祭りはとにかく可愛らしかった。
精霊というか妖怪みたいだったけど(笑)
日本昔話が昔から好きだったけど、毒キノコの家に偶然はいちゃって怖い思いをするけど、よくよく聞いたら毒キノコの歌っている歌が自分たちの弱点を明かしている歌だった、みたいな、そんな愛らしくて間抜けな感じがあって、シュールさ半端なくてすごく楽しかった。
でもそこには伝統がしっかりあって女性が近づけない土着の文化もしっかり残っている。
トゥブアンになるにも数ヶ月の準備期間があり、その間に断食などをするみたいだが、やっぱり人間っぽい所をそぐには断食が必要なのかなと思ったりした。
確かに想像力働かせる時って飢えているほうが働く気がする。
暗黒舞踏の創始者の土方巽さんだって「肉体の叛乱」を踊ったときは一週間断食したらしい。がりっがりに痩せた体は見事だったようだ。私は映像でしか見たこと無いけど、生でみたらそりゃ凄かったんだろうなと思う。
そして日本兵がここで過ごしてきた日々を思い痕跡を目の当たりにしたときは、とにかく怖かった。
山本バンカーに入ったときに見た作戦会議みたいな書き残しは、そこに念がこもっていそうで肩が重くなった。こんな空気が通らない暑いところでずっと籠もっていたと思うと、それだけで気がおかしくなってしまうのではないかと思った。
日本軍の塹壕に入った時はまだそこで隠れている人が奥にいそうで、軽い気持ちで入ってはいけない気がした。ここで一体どんな会話をして、どんな風に座っていて、食事はできたのだろうかとか、排泄物はどうしたのだろうとか、どんなことを考えていたのだろうとか、考えたらまた肩が重くなった。だがアモスが楽しそうに塹壕で遊んでいたので、あぁ暗い所にはこうゆう明るさが必要だよなと思ってアモスに感謝した。日本兵ももしかしたらそんな風にして遊んでいたときだってあったのかもしれない。
ラバウルではJICAの人々にも会えた。本当に尊敬する。
ラバウルの人々が空手を一生懸命教わっているあの真剣な表情、こんなところで日本の魂が伝わっていると思うと、嬉しくなった。
舞踏も披露することができた。
わからないが、日本人の魂が大きく手を振っている気がした。
バイバイ!バイバイ!と大勢が叫び合っている。この土地がそんな人々を暖かく包み込んでいた。
海外に出て、日本の技術はいろんな国で一目置かれているということがわかる。
ラバウルはどの国よりも多く感じた。みんなが日本人を好きでいてくれて、尊敬しているとまで言ってくれる人もいる。
それはとても嬉しいことであり、私には一体なにができるのだろうと考えずにはいられなくなった。
たったの一週間だったが、濃厚だった。
世界一周すると決めるまで知らなかったパプアニューギニア。
強く執着したパプアニューギニア。
そして大好きになったパプアニューギニア
今日もラバウルの人々は大きな口で笑っているだろうか。
耳元でHELLO!と言う声が聞こえてくる気がする。
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