日程:2017年7月29日~2017年8月18日(滞在日数21日)
バンフォラからアビジャンの移動時間:国境でバスにおいてかれるトラブル込みで約18時間
訪れた場所(宿泊施設):アビジャン(ホテルサクセス、Cocody Guesthouse Galerie)
万琵が踊った場所:踊ってない!
<コートジボワールの感想>
いつもなら、訪れた国の感想を述べるところだが、コートジボワールでは旅行らしいことを一切していないため、今回はコートジボワールを通して考えた、西アフリカ全体のことを述べてみたいと思う。以下は、完全に私見である。
サハラ砂漠以西は全体的に土地が非常に肥沃で、あまり手入れされていない街路樹にさえパパイヤマンゴーが生っているレベルと言っても過言ではないと思う。
人間も基本的には、良い人が多い。もちろん、我々が接する人の多くが旅行関係者だったり、客商売をしている人だったりするわけで、我々は客として訪れているのだから、基本的に良きように接してくれるのは間違いないと思う。
隣接する国ごとに大きく異なる訳ではないが、西アフリカとして独自のファッションや食事や芸術の文化も確立されており、非常に興味深い地域であることも確かだ。
そういう観点では魅力的なのだが、今まで訪れた国々では起こらなかった「体に変調をきたすほど」少なくないストレスを受けていたのも確かなのだ(ちなみにアフリカ以降はパッタリ無くなった)。アフリカで僕は原因不明の背中痛でのたうち回ることが数回あったし、万琵はアフリカを抜けて直後に原因不明の湿疹が出てしまった。
原因不明なので言い切れないのだが、我々はストレスではないかと踏んでいる。なにがそんなにストレスだったのか。具体的な部分から掘り下げて考えてみようと思う。
まずインフラ設備が整っていない。水道、電気、道路、ごみ処理、この辺が全体的に他の国々に比べて低水準だった。
目に余ったのはごみに対する扱いだろうか。ゴミを処理する行政システムが存在していないのではと思われる場所がかなりの数あったし、住んでいる人間のごみに対する考え方も非常に大雑把だった。そういうところのごみは大抵路肩や側溝に追いやられて悪臭を放っていたし、悪臭の中食事をしている人も見かけたし、移動中の車内からごみを放り投げる光景を何度も目にした。山を切り開いて作った、人が歩くことのおよそない峠道の茂みの中にコカ・コーラの空き缶が、あと何千年そこにあり続けるだろうね。(ここで善悪を論じることはしないけれど)
とはいえ「快適ではない」という程度なら我々は既に慣れっこだった。アジアの地方では停電が頻繁に起こっていたし、バンコクのカオサン通りの側を流れる川などは色鮮やかなごみの流れになっていたし、ミャンマーの道はガタガタだったし。それよりも次の要因が大きかったように思う。
良心のタガが外れている人が想定以上いる(と予感させる)。
ここで「良心とは何か」を語るつもりはないが、自分の都合で他にダメージを与えることに躊躇のない人とでも言えばいいか。具体的な例として分かりやすいのはニュースでよく見かける、過積載で船が沈んで何人も死にました、みたいな事案だろうか。
西アフリカって注目してみるとしょっちゅう船が沈んでいるのだが、これは主に低コストで大量に運んだ方が儲かるという考えのために命のリスクを度外視した結果なのだ。また貧困が免罪符になると本気で思っている人間もいるし、ブードゥ社会の報復制度もいたたまれないほどオーバーキルになっている。盗みを働いた人は市中引きずり回しの挙句みんなからボコボコにされてそのあと火をつけられるって、どのタイミングで死ぬかはわからないけれど3回は死ねる。
と、基本的にはいい人なのに、その笑顔の下に透けて見える狂気や、周辺視野で見えていた様々な情報が、真綿で首を締めるように我々にじわりじわりとストレスを与え続けていたのではないかと思っている。
しかしこれは、誰かが悪いということではないのだ。
実際には、世界中の、生物個体としての人間あるいは種としての人類が、そうなのだと思う。エゴを第一優先にするのは個体の生命維持にとって必要な部分であって、そこを否定することはできない。人類は、一人ではない、共に生きる関係が複雑で高度な社会を作っていくなかで理性や法や秩序を獲得し、それらで本能を塗り固めて生きているにすぎないのだから。
その、理性や法や秩序を獲得する部分が、西アフリカにおいてはほんのわずか他と違うというだけなのだ。なんのことはない。その誤差のようなものでも我々に大きなストレスとなっていたことは確かだが。むしろ、長い間の奴隷制度で理性や法や秩序を認められてこなかったうえ、現在においても完全に独立出来ているといえる国が少ないことには同情の余地しかない。
そして、旅を終えて帰国してから思ったのが、良心のタガの外れた人間は日本にも一定数いる、ということだ。
具体例をここで挙げなくても瞬時にいくつも思いつくだろうということで割愛するが、それでもほとんどの日本人が多少の生きづらさを感じながらもそこまで不快ではない生活を送れているのは、シンプルに、司法行政システムが非常に優秀だからで、とりわけ日本人が優秀だからでもなければ、個人個人が優れているのでもないし、国民性がどうとかも、まったく関係ないのだと思う。
西アフリカにいた当時は大きな違いという風に認識していたが、数年経って改めて考えてみると、人間の違いというものはたとえ地球の裏側まで行ってもほんの些細なものでしかなく、その小さな違いに一喜一憂し、怒り、悲しんでいるさまが滑稽に思えて仕方がないのだ。
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