絶景舞踏

旅記事102 マレーシアを終えて


日程:2016年4月18日~2016年5月18日(滞在期間30日)

シンガポールからの移動時間:クアラルンプールまでバスと電車で約9時間

訪問した都市(宿泊施設):クアラルンプール(The Bodhi Lodge)、イポー(Regalodge Hotel Ipoh)、キャメロンハイランド(Gerard’s Place)、ペナン(D Mo InnRope Walk Guesthouse)、マラッカ(Roof Top Guest House Melaka)、クチン(ノマド・ボルネオ・ベッド&ブレックファスト)、コタキナバル(ノース・ボルネオ・キャビンHalo HostelMasada Backpacker)、クンダサン(Mile 36 lodge)、キナバル国立公園(ラバンラタゲストハウス)

万琵が踊った場所:キャメロンハイランドキナバル山石の上キナバル山雲海と遠雷

キャメロンハイランド踊り


<マレーシアの感想>

ほぼ一ヶ月に亘り、7都市1村1公園に滞在した。すべての場所で景色が違い、匂いが違い、味が違った。

 

クアラルンプールでは日本を凌ぐのではないかというその発展の勢いに驚き(最先端のものを提供する場を持ちながら貪欲に再開発し続けていた)、多くの民族や宗教が尊重しあって共存する姿に感嘆した。

シンガポールに習ってか地下鉄構内では飲食厳禁(&ドリアン厳禁)のマークが目立ち、秩序と清潔を保っていた。しかしその一方で東南アジア特有の(と言っていいのかは分からないが)無秩序な交通と店の営業、手から離れればもう自分のゴミではないとでも言いたげな不潔で自分だけが良ければそれでいいという考えで生きているような人々が沢山いた所もあり、その対極が存在する街でもあった。

 

イポーでは古き良き町並みが現役で活動し、そこに生きる人々は自分たちの生活で精一杯でありながらも、建築やアートへの柔らかい目を持ち合わせていた町だった。チキンライスもモヤシもオールドタウンホワイトコーヒーも美味かった。

 

キャメロンハイランドは高原の避暑地というに相応しく、冷涼な気候、広大な土地、緩やかに流れる時間を纏っていた。それとともに雨不足による山火事跡に遭遇したり、かと思えば急激なスコールに遭ったり、ラフレシアを求めて入った熱帯雨林ではマラリアを媒介するハマダラカの危険が伴っていたり蛭がいたりと自然をモロに体感する場所でもあった。

自然の中で万琵も色々と吸収したようだった。

日本より遙か南に位置しているのに鍋が美味しい所でもあった。

 

ペナンは町全体が世界遺産だ。歴史的に交易の要衝であるとともに華僑の勢いが色濃く表れている都市で、イギリス統治時代のコロニアル建築や中国豪商のプラナカン建築が非常に多く中洋折衷的な町だった。夜は美味しい屋台で賑わい、食費を浮かすのにも役立った。

 

マラッカもペナンと同様、町自体が世界遺産に指定されており、古い町並みを保っていた。ここも交易の重要都市であり、オランダに統治された歴史がある。そしてここも変わらず華僑が多大に影響しており、相変わらず中国人のエネルギーの大きさを思い知る。

 

次はマレー半島を離れ、ボルネオ島に入る。物理的に離れるだけでなく、政治的にも大きな自治権を任され、マレーシア国民でさえ入境するのにパスポートの提示を求められるほどだ。

クチンはボルネオ島2州のひとつ「サラワク州」の州都で、猫の町の異名を持つ。猫好きの僕としては否応なく期待が高まったが、別に猫なんてそんなにいなかった。

サラワク文化村は当州の少数民族がそれぞれの文化を披露してくれる体感型のミュージアムといった施設だったが、平日で、且つスコール明けという絶妙に暇なタイミングで訪れたために、裸に腰蓑でスマホをいじるという現代っ子化の波に抗えないシュールな民族を見られて面白かった。ショーもエンターテインメントの要素が多く楽しめた。

 

コタキナバルは「サバ州」の州都でありマレーシア旅のクライマックスであるキナバル山の枕都市でもある。ここでは登山の準備を済ませただけだったが、ナイトマーケットの新鮮な魚をその場で調理してくれる屋台に挑戦してみても良かったかもしれない(旅先では魚を敬遠していた)。

 

クンダサンはキナバル山の麓にある村で、農業と登山客への宿貸しを主な生業としているようだった。この村もすでに標高1,500メートルほどの所にあり、キャメロンハイランド(そこも同じくらいの標高)のように冷涼な気候で自然が多く過ごしやすい場所だった。

宿では早朝に呼んでいた筈のタクシーが来ないというトラブルもあったが、部屋のベランダから様々な表情をする恥ずかしがり屋で雄大なキナバル山が常に見えていた(・・り、見えなかったりした)ため登山へのモチベーションが非常に高まった。

 

キナバル山は東南アジア最高峰の4,095メートルと標高こそ高いが、傾斜は緩やかなので初心者でも十分に挑戦できる山だ。高山病には当然気をつける必要がある。体力と心肺に相当自信のある人以外は7号目あたりの山小屋で一泊することが必要となるので我々もそのようにした。

スタート地点から高いところにあるとはいえ、やはり熱帯雨林。暑かった。が、登っていくにつれ気温は下がり、植物の様子も岩石も高山のものに変わっていった。じわじわと変化するさまに飽きることはなかったが、体力は確実に削られていった。元々走るのも遠慮したいくらい運動は好きではないので体力(特に持久力)は無い方だと思うが、山小屋ラバンラタまでの間にかなりこたえた。

日が昇るかなり前から登り始めた時は、ヘッドライトを点けるも足下しか見えず、少ない酸素の代わりに不安感が闇とともに充満していた気がしたが、万琵の「星が綺麗だよ!」と言いながら上ばかり見ているのに危ないなぁと思いつつだいぶ気を楽にさせてもらった。

頂上に着き日が昇ってくるのを見ると、寒さと闇とともに疲れも言いしれない不安感も太陽に打ち消されていくのを感じた。というよりただ目の前の景色に感動していた。言葉で言い表せない、というのは簡単なので敢えて言うなら表彰台、ラストの着地をベタ決めして立った一番上の表彰台にいる気分に近いかも。誰に評価されたわけでもないがその台の高さ、4,095メートル。しばらく降りたくないよね。そして違う意味でも降りるのは辛かった。膝はガクガク、大腿四頭筋もヒラメ筋も土踏まずも筋肉痛になった。

大きな自然を前にして人間の存在の小ささを痛いほど感じたが、その人間の一歩一歩が大きな山の頂に立たせたのだということも逆説的に感じた。

足を滑らせるとパッと飛んできて助けてくれたガイドのエルのように、マレーシアの人は損得勘定なしに助けてくれる人が多いような気がする。近代化が進んで、個の重要性というかプライバシーの尊重というか、或いはその言葉が一人歩きして現実には周囲に無関心なだけになっているような気がする東京で長いこと暮らしてきた僕にとってはちょっと歯痒い気もするが、マレーシアはなんだか日本の田舎のように人の温かみを感じやすい国なのかなぁと思ったりもする。エルはおもいっきり損得勘定の仕事だったけど。

日が当たる大岩



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