シュリーを出発する時間は朝6時でした。オーナーのスレンダさんが手配してくれた空港までのタクシーはちょっと遅れて到着しましたが、飛行機の時間には十分間に合います。
カトマンズに着いて早々トレッキング開始することにしたため準備に遅くまでかかり、睡眠時間は4時間。頭痛持ちの僕は睡眠不足による若干の頭痛を感じたので薬を飲んでおきました。イブクイック効きます。※高山に行く場合は、高山病の発見が遅れるため頭痛薬の服用はやめましょう!
ヒマラヤトレッキング・ゴーキョピークルートの情報まとめ記事はこちらのリンクへ。
カトマンズの空港は小さいながらも国内線と国際線のターミナルが分かれていました。今回ルクラという町まで飛ぶのはもちろん国内線です。
国内線ターミナル。こぶたちゃんマスク。
そこで見かけた白人さんたちは既にガイドと合流していました。カトマンズ空港から合流する契約だと、ガイドの航空券もこちらで支払うことになるので、我々のガイド兼ポーターは当然ながらルクラで合流します。
飛行機のチェックインは自分たちでやることになりますが、流石にもう慣れたので問題なく、荷物のチェックインを済ませて保安検査を通ります。
そして保安検査で万琵が引っかかりました。
「万能ナイフは手荷物に持っていけないよ~」
しまった。いつもは預入荷物に入れてあるものですが、ポーターに持ってもらうため分けてあり、万琵の手荷物に入っていました。ハンズで買ったまあまあいいナイフですが、刃渡り4センチ・・ハイジャックは出来そうにないけど。
普通の空港なら即没収です。しかしここはカトマンズ国内線。
さっき預けたバッグがすぐそこにあるのが見えたので、ちょっとスタッフ専用エリアに侵入して既に預けた荷物を開封し手荷物をそこに突っ込んでくる、なんて空港職員じゃなくてもやっちゃいけないことがハッキリ判るイカサマ。そんなのがすんなりオーケーでした(笑)
チェックイン後の待合室にはレストランやコンビニがありました。発着案内のモニターを見るも、我々の飛行機が表示されていません。どうやら遅れているようです。遅れているというアナウンスは聞いた覚えがありませんでしたが、騒いでも仕方ないのでコンビニとか見てました。
カトマンズ国内線のコンビニの物価は異常に高いです。お菓子とか食べたければ事前に用意するのが吉です。
ただ飲用の水とお湯は無料なので、我々は前日に買っておいた1リットルの缶ボトルにお湯を満たしておきました。給湯器のパワーが弱かったのか、僕のお湯は人肌以下でしたが(笑)
ようやく飛行機のアナウンスが流れ、バスで当該機に向かいます。
目の前で軍隊が楽しそうに走っていましたがあれは多分演習です。そういえばカトマンズ市内では軍隊の姿をやたら見かけます。軍事施設も多いようだし、国防費率がかなり高いんじゃなかろうか。
飛行機に到着しましたが準備がまだ整っておらず、預け荷物が我々の後にやってきました(笑)同乗者はその辺に立ちションとかしにいく始末。
それでも飛行機は飛ぶのです。
パプアニューギニアで乗った時以上に小さいセスナ。客席が18シートしかありません。そして旅客機であることをギリギリ思い出させる客室乗務員の姿。
彼女は全員に「アメちゃん」と「綿」を配っていました。最初「大阪のおばちゃんかよ!」とか思っていたのですが、このセスナ、機内の加圧が十分でないらしく綿を耳に詰め唾液を飲ませることで耳内圧を修正させることを目的としたものだったのでした。
耳に綿入ってます。どうしても後ろの客室乗務員のふてぶてしさに目が行ってしまいますが。
ヒマラヤ山脈を跨ぐ飛行機!ロマンです。高度が上がるにつれテンションも上がっていきます。
そしてルクラ空港に到着!快晴!
山間を飛んだセスナが降り立った次はこの滑走路から向こうの山に向かって飛んでいくんだよなぁ。カッコいいぜ。ちなみに写真では既に一機飛んでます。
この絵になる滑走路を「危ないから早く向こう行け」って言われるまでみんなバシバシ写真を撮っていました。
預け荷物を回収するかしないかのうちに現地ガイドが群がってきて「俺を雇わないか」と迫ってきます。我々はすでに契約したガイドがいて彼を探すだけなので、申し訳ないけどちょっと邪魔でした。
やがて目的のガイドが我々に声をかけてきたので彼らも引いていきました。
この辺が人でごった返しているのでガイド兼ポーターは挨拶もそこそこに取り敢えず預け荷物のスーツケースを担ぎズンズン歩いていきます。
彼が荷物を置いた場所は陽射しの温かい木造レストラン。おぉ、朝食か!ちなみにこの辺から先はWi-Fiとか充電とかが有料になってきます。Wi-Fiは要らないとしても、予備バッテリーあると便利かも。ソーラーパネル背負って歩く上級者もいました。
簡単な食事を摂りつつ互いに自己紹介しました。
我々のガイド兼ポーターはアンバー君25歳。なかなかのイケメンです。
この仕事の後はルクラから二日かけて地元の村まで歩いて帰るそうです。もう出退勤がトレッキングか!
この日はルクラから2時間ほどの所にあるパクディンというところまで行って宿を取るそうです。ルクラの標高は2,800メートル、パクディンは2,600メートルです。下がるんかいっ!
僕のスーツケースを背負える形に直して、ザムザム!(ネパール語の”レッツゴー!”)
ルクラにはエベレストトレッキングの出発点および帰着点として、様々な店があります。運営するのは主に現地の民族シェルパ族の方々。ここから進んでいくと、トレッカー向けでない、日常の暮らしを営む姿を見ることもできます。
防寒具やトレッキングポールなど装備を整える店や、帰る人のための土産物屋、レストランも山小屋もあります。美容室も、あります。どうすか、登山前に散髪?
オシャレ狙いすぎじゃないか?ちなみにこんなシャレオツな髪型で登山してる人はいませんでした。いてもいいけどね。
そしてエベレストコーヒーだのエベレストバーガーだの。食べてみたいけど・・ご当地名付ければいいってもんじゃないでしょ。世界の屋根でも、やってることは同じだね(笑)
道中、多くのトレッカーやシェルパ族とすれ違います。
独特の運搬スタイルで荷を運ぶシェルパの香川照之氏。杖を荷物の下に添えて、深く座らないのがシェルパ流。道のりが長く険しいので、座ったり立ったりがジワジワ効いてくるんでしょう。
荷物だって休憩したい。
建物がなければ周りは全て山・空・畑!
そんなところに住んでりゃ犬の寝相も良くなります。
子供も可愛い。
警察によるチェックポイントを通過します。ここはアンバーが手続きしてくれます。
途中、日本人の団体客の方々と出会いました。エベレストトレッキングは日本人に大人気です。
これはエベレストトレッキングの途中に亡くなった方々の慰霊碑だそうです。死因の多くは滑落や遭難、高山病です。全部他人事じゃありません。
シェルパ族はチベット仏教を信仰しており、至る所にマニストーンと呼ばれる、ネパール文字での経文が書かれた岩やマニ車と呼ばれるもの(左写真)、ロープに括り付けられた経文のある布が見られます。これもまた素晴らしい景色に溶け込んで、空気を澄みわたらせているような気がします。
マニストーンの向こうに見える雪山は「タムセルク」というそうです。
しょっちゅう先に行ってしまうアンバーがこっち見て待ってると思いきや、細長い吊り橋が。
先に行ってと言われるままに先を歩くと、アンバーの奴がすごい揺らしながら追いかけてきました。お茶目なやつ。
吊り橋の先には馬に乗ったシェルパが待っていました。吊り橋の上で馬と人はさすがにすれ違えません。よく見ると、スマホ使ってる!
歩きスマホならぬ馬スマホ。スチームパンクな世界を垣間見ました。崖から落ちるなよ。
360度どこを切り取っても絵になる風景に囲まれて歩くのは本当に爽快です!
しかし基本的に晴天な11月は、高度が低いうちの日中はめちゃくちゃ暑い!乾燥していて平地より陽射しも強いので日焼けや脱水にも気をつけなければいけません。
道中何度も荷物を背負った牛たちとすれ違います。そんな時は、必ず山側に立ち止まるようにしましょう。谷側にいたら、何かの拍子に荷物と接触して転落してしまいます。
途中何度か小休憩を挟み、上着を着たり脱いだりしながら、ドゥッコーシーリバーという多分氷河の水によってミルキーになっている川が見られるあたり、その近くにこの日の目的地「パクディン」がありました。
宿は「See You Lodge & Restaurant」会った途端にさようなら(笑)
部屋を見て荷物を置いて。この部屋はベッド以外何もありませんが、日中陽が入ってとても暖かです。ちなみにここから先、暗くなったら超寒いです!
ひとまず昼食です。野菜スープ、チキンピザ、ツナパスタ。この景色に囲まれて歩き回ったらなに食べても美味しいわ!
このあとは晩飯食べて寝るだけなので、やることがありません。
その辺を散策してもまだ暇。暇すぎて絵とか描いてしまう始末。
山小屋では薪ストーブに火をくべ始めました。
夕飯はネパールの餃子「モモ」のチーズ味に野菜春巻、ポテトサラダとライスでした。チーズモモ美味し!
ヒマラヤトレッキング・ゴーキョピークルートの情報まとめ記事はコチラのリンクへ。
いつもご愛読ありがとうございます。ポチっとランキングへのご協力もお願いいたします!
インスタグラム始めました。フェイスブックからでも見られるようになっています。
ネパールへの格安航空券はスカイスキャナーで検索できます。