次の日はついにゴーキョまでのトレッキングになる。
ムラケンの体調も思わしくなくこの日も早々に部屋に戻りベッドに入った。部屋は寒く、ありったけの服を着て寝袋の上に布団二枚を掛けてもなかなか温かくならなかった。
夜中2時頃だろうか。
隣のベットから激しい咳き込む音がして目を覚ました。
ムラケンの様子がおかしい。
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大丈夫?と聞くと、やばいかもしれないとムラケンが言う。
ベットから出てムラケンの顔を覗くと、顔色が尋常じゃなく悪く土気色に変わっていた。
しかも顔の半分が少し歪んでいて、いつもと顔が変わっている。苦しそうに荒い息をして咳が止まらない。おでこに手を当てると明らかに熱がある。
これは、ダメだ…。
持ってきていた体温計で体温を測ると、やはり熱があった。タオルを濡らしておでこにあてた。夜中の冷たい水を濡らしたタオル、普通の健康体なら冷たいハズなのに、ムラケンは気持ちが良いという。
日が昇るまでこの作業を繰り返した。
早く、夜が明けてくれ。
熱は少し下がり、咳も幾分か落ち着いたものの、下山するにもこの状態で歩くことは無理だ。
やっと明るくなりはじめたところで見るムラケンの顔は死人のような顔をしていた。
日の出とともにガイドのアンバーを起こした。ヘリコプターで早急に下山することになり、エージェントのシュリーチベットゲストハウスのスレンダさんに電話することになった。
だが、ここの山小屋、電波が届いていない。アンバーと山小屋の裏の丘を上がり、電波が届くところまで走って登る。少し走るだけでも息が切れる。
スレンダさんに電話が繋がり、まずは保険に連絡を取らなければならないと言われ、保険会社の連絡先を教えた。スレンダさんが保険に電話するから、ちょっと待っててと一度電話を切った。
ヘリコプターの出動依頼は保険にちゃんとはいっているか、費用の支払いの確定見込みがないと出動してくれないと言う。
スレンダさんからの折り返しの電話がとても長く感じた。
アンバーはこんなことになったのは初めての経験だったらしく、不安気な顔が幼い子供のようだった。
スレンダさんの折り返しの電話は、保険会社に電話がつながらないというものだった。
こんな時になんで?!と思いながら、この時の保険はクレジットカード付帯の保険を使っていて何個か持っていたので、違うクレジットカードを持ってくるために、また山小屋に戻るという効率の悪いことをしてしまった。
違うクレカを持ってまた丘を走って登る。だが結局このクレジットカードもつながらなかった。
結局らちが明かないので、スレンダさんが取り敢えずヘリコプターの費用はこっちが出しておくから、保険のことは後にしましょうとヘリコプターの手配をしてくれた。
迅速な対応に感謝した。
山小屋からヘリコプターが来る場所まで歩いていく。ほんの5分程の場所だが、ムラケンにとっては長く長く永遠に続くように思ったようだった。
ムラケンは真っ直ぐ歩いているつもりらしいが、フラフラと真っ直ぐ歩くことができず今にも滑り落ちていってしまいそうだった。
アンバーがムラケンの手を握る。
ヘリコプターがくるまで1時間ほどかかった。ムラケンは顔に日を当てて夜中より様子は落ち着いていたので良かったが相変わらず苦しそうだった。
後からきいたのだが、風が強く一度ヘリコプターは引き返したために時間がかかったようだ。
まだかまだかと待つ中、彼方向こうからヘリコプターがくる音が聞こえた時は、天から助けが来たと思った。
マッチェルモがヘリコプターがこれる一番上の地点らしい。
ヘリコプターの操縦士も心配することはないよ、と私たちを安心させてくれた。
残酷にも今日も空は真っ青で、美しい山々が連なっていた。
私はなんだか、いろんな感情が湧いているはずなのに、なんの感情も自分で感じることができなかった。感情と思考が遮断されていたのか、すべてがごちゃまぜになっていたのか、心の中が真っ暗だった。
ルクラで一度ヘリコプターは着陸して、ここでアンバーと別れた。終始不安げなアンバーだったが、私たちの重い荷物を持ち、よくやってくれたと思う。
カトマンズに着くと、救急車がヘリコプターがくるのを待っていて、すぐさま病院に搬送になった。
あんなに寒かったのに、カトマンズがとても暑く感じた。空気もグッと重く、ねっとりとしていた。
アァ下界だ…と思った。
カトマンズの病院はSWACON INTERNATIONAL HOSPITALというところだった。外国人がよく使う病院らしく、白人さんも多くいた。
少し話したポーランドから来た人は山小屋での食事のお肉で具合を悪くしてしまったらしい。
アンバーがナムチェより上ではお肉は食べない方が良いと言っていたが、やっぱりそうだったのだ。
保険担当者がいて海外保険のことにも慣れていた。何度か保険の方と連絡してキャッシュレスで対応してくれた。
ちなみにこの時使った保険会社は損保ジャパンだ。損保ジャパンのスタッフの方もとても丁寧だった。
シュリーチベットファミリーゲストハウスのスレンダさんも病院まで足を運んできてくれ、サポートしてくれた。
ムラケンは高山病だった。肺水腫まで進行していた。足のふらつきや顔の歪みは少し脳の方まで影響していたのかもしれない。
危なかった。
個室の部屋は快適で、私が泊まれるようにソファーベットにシーツと枕も用意してくれた。
夜中、ムラケンのスースーという落ち着いた寝息を聞いて、もう大丈夫だとやっと安心した。
大変な一日だった。
病院の食事はびっくりすることに日本食もあって沢山のメニューから自分で好きなものを選ぶことが出来る。
冷やし中華やおじや、かつ丼や親子丼だってあったし、おにぎりなんかもあった。
朝、昼、晩に間食までなにか欲しければ頼むことが出来る。いたれりつくせりだった。
ムラケンは2泊入院した。もう一泊したかったらしても良いよと病院に言われたが2泊で退院することにした。
万全とは言えないもののムラケンの顔はもう歪んでいない。
今回のエベレストトレッキングはマッチェルモで断念!
こんなことになるとは思わなかった。
悲しくもこんなことでヘリコプターに自分たちも乗ることになろうとは。
山を甘くみてはいけない。心底そう思う体験だった。
そして沢山の人のサポートに感謝した。
なによりムラケンが元気になって良かった。
こんなことになったが、エベレストトレッキングは素晴らしすぎる景色を見せてくれる。あの冷たい清々しい空気、醸し出される雰囲気が心を静め、浄化してくれる。
病院から見える街並みは、もうあそことは違う。ゴミが散乱している。
人々も埃っぽい空気にまみれて、なんだか薄汚れて見える。
でもここが人間の住む世界なのだろう。
ゴーキョピーク、いつかリベンジしようと思う。
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