絶景舞踏

旅記事379 トーゴを終えて


日程:2017年6月16日~2017年7月4日(滞在日数19日)

ベナンからの移動時間:コトヌーの乗り合いタクシー乗り場「エトワール・ルージュ」から国境ヒラコンディを越えてロメまで約3時間

訪問した場所(宿泊施設):ロメ(Le Galion,My Diana Guest House)、パリメ(Hotel la Detente)

万琵が踊った場所:パリメの泳げる滝「カスケード・ウォメ」

トーゴ舞踏5

<トーゴの感想>

このブログを読んでくださっている方はすでにご存じのことだが、トーゴでは、あんまり大した活動をしていなかった。

というのも、セネガル以降、ガンビア、ベナンと西アフリカ諸国を幾つか訪れて、その難易度の高さ、くだけて言うと「今までの旅と違う」ギャップの大きさに疲弊していたことが最も大きな理由だと思う。

例えて言うなら、無菌室から外に出てきたばかりの時のような(といっても無菌室に入ったことないんだけど)、触れるものみな一癖あるものばかりで逐一「これは大丈夫なやつかな、信じていいものなのかな」と勘繰らねばならず、気を張って生活していたからだと思う。

誤解を招かないように言っておくが、西アフリカがダメだと言っているのではない。

日本を含め今まで訪れた国々は、通常の生活が営まれているうえでその国独特の文化やそれに根ざす宗教、社会構造、食事、インフラなどのシステムがあったため、我々も順応するのにそう苦労はしてこなかった。

西アフリカでは、そこにあるはずの「通常の」部分が我々のそれと大きく違っていた。具体的に言おうとすると長くなるので割愛するが、セネガル以降の記事を読んでいただけたらなんとなく解っていただけると思う。

そんな素地の土地のため、我々がそこに順応するのになかなかの期間を要したのだ。

今思えば、ようやく順応できたのがトーゴに入ってからなのではないか。

万琵が引きこもり、僕が食料を調達しに行く、ただそれだけの日々を幾日か過ごすうちに西アフリカでの生活を、通常のものとすることが出来てきたように思う。

ベナンも比較的過ごしやすい国ではあったが、観光や物見遊山で忙しく、落ち着ける日数は少なかったというのもある。

トーゴでは決して刺激的なものを見たり体験したりはしてこなかった。というか我々の知る限りそんなに刺激的なものはなかった。

実際にはトーゴにもブードゥー教文化が根付いているので、コトヌーのダントッパ市場で見たような呪物マーケットがあるし、知らないだけで他にも色々あるのかもしれない。しかし我々はそれを敢えて探すことはせず、気の向くまま漫然と過ごしていた。

そしてそれを許す環境がトーゴにはあったのだと思う。

まぁ、許す許さないは誰かが決めることではないのだが、そう表現するとしっくりくるような寛容さがトーゴにはあった。また、当時一緒にいたホンダさんもそんな我々に輪をかけて他者に対してユルい性格の人だったので、非常に助けられた。

ちょっと外を歩けば食べ物屋台があるし、いつも出来立てなのでお腹に障る心配も少ない。人種の違う観光客に対して差別をしてくることもなく、現地の人と同じ扱いをしてくれる。それでいて不慣れな場面に出くわすと誰かがなんとなく助けてくれる。多少油断しても大きな間違いには至らない、人々との間にそんな無言の信頼感を持てた。

ようやく西アフリカに受け入れられたと実感できた国、それがトーゴだった。

そして西アフリカにおいて我々を温かく受け入れてくれた最後の国でもあった。

さて、次からはブルキナファソ編に入ります。

食堂のおばちゃん

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