日程:2017年7月4日~2017年7月29日(滞在日数26日)
トーゴからの移動時間:ロメのバス会社オフィス前からワガドゥグのバスターミナルまで約19時間
訪問した場所(宿泊施設):ワガドゥグ(Centre d’Accueil Missionaire Notre Dame de Lorette)、ボボディウラッソ(Alliance Chretienne)、バンフォラ(Jackson Annex、Marion)
万琵が踊った場所:奇岩群ファベドゥグドーム
<ブルキナファソの感想>
我々はアフリカで知り合った旅のエキスパートであるホンダさんと共にブルキナファソに入ったのだが、実は我々に先行して一人でブルキナファソに入国していた女性がいた。
ここでEさんとするが、彼女からワガドゥグの情報を少し得ていた。
彼女によると、すれ違う人みんな、自分を奇異の目で見ており、人によってはシノワ、シノワ(フランス語で中国人の意)と小馬鹿にしたような態度で迫ってきた。人々から人種差別を受けている感覚もハッキリと感じ取れる。入国したそばからその有様が続いており、この国を楽しむ余裕はおろかこちらにもイラつきと恐怖を感じる日々だ。
とのことで。。良いことひとつも言ってなーい!
トーゴがよかっただけに、入国前からテンションだだ下がりで臨んだブルキナファソだったが、実際入国してみると、全然そのようなことはなかった。
むしろこれまでイスラム教国家に入るとどうしても外国人女性である万琵が珍しいのか、男衆からジロジロ見られるということがあったが、同じくイスラム教国家であるブルキナファソでは(宗教の縛りがユルユルだからだと思うが)これまでのトーゴやベナンとあまり変わらないような気がした。
考えるに、Eさんは女性一人だったからなのだと思う。
女性の一人旅は危ない。
これは旅行計画段階から思っていたことで、万琵が旅に出たいと言い出した時に僕が絶対に付いていこうとした理由の最たるものでもあった。
たとえ僕がケンカがからきし三級品でも、犯罪抑止力という意味で、僕がいないのと居るのとでは段違いだろう。
ということで、抑止力になっていたかどうかは分からないが、結果ブルキナファソでは変に絡まれることもなく、無事に過ごすことができていた。
ただ、これはもしかしたら幸運だったのかもしれない。
ワガドゥグに夜遅く到着した時にバスが宿の近くを通ったのだがドライバーは頑として途中下車を許してくれなかったのは、もしかしたら夜に出歩く危険性を考慮してのことだったのかもしれない。
うっかり夜に出歩いてしまったり、金曜日に外をうろついたりしてしまったり(イスラム教の休日は金曜日)、つまりは人気のない時に外を歩いてしまったということなのだが、そこは喧騒の中を歩くのと比べると大きく異なり、雰囲気に不穏なものを纏っていたような気がする。
Eさんが日常的にその雰囲気を一人で感じていたのなら十分に恐怖だ。
また、コートジボワールに入った直後にワガドゥグでイスラム過激派による自爆テロ事件があったことを在コートジボワール日本大使館の方から聞いた。そこまでニアミスという感じでもないが、イスラム過激派がほんのり活動していた時期であったことは確かで、日本では一切報道されていないがこういう国でも自爆テロが行われていたのだ。
我々は気づかずに色々なものに守られていたのかもしれない。
少なくともハッキリ言えるところでは、ホンダさんには非常に分かりやすい形で助けてもらっていた。
ただしブルキナファソ全土においてそう言えるというワケではなく、不穏な空気を感じ得たのは実際にはワガドゥグだけで、ボボディウラッソやバンフォラなどはいたって平和そのものであった。結局、都会に変な奴が集まるということだろうか。
まぁ、ほかの町でも信じられないくらい不味い料理を出されたりサルモネラ菌に汚染されたり食用イモムシに出合ったりと、今となっては笑い話として語れる程度に悪い出来事はあったが、それもまた世界旅行のエッセンスとなっている。
ブルキナファソは日本語の情報が少ないというのも面白いところで、現地で情報収集する他ない旅の仕方を学ぶこともできた。そこで出会う人々も基本的に親切で、多少いい加減な部分はあったとしても比較的誠実にやってくれていたので、我々としては大満足だった。もはや我々はいい加減な対応に慣れすぎていたけれども。
さあみんなも是非ブルキナファソに行ってみよう、とは言えない国ではあるが、自分の幸運と注意力に自信がある方なら行ってみてもいいかもしれない。責任は取らないけど。
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