この記事は2017年5月23日の出来事です。
ガンビアという国があることはご存じだろうか。
ガンビア?初めて聞いたよ。
なんてマイナーな国だ。私は知らなかった。
地図で見ると、セネガルの中に細長く区切られた部分がある。
そこがガンビアだ。
この国、西アフリカでは珍しく公用語が英語の国。
フランス語はだいたい、セボン!で乗り切ってきた私たち、英語圏は有り難い。
そろそろ南下していくことを決心した私たちは、取り敢えずガンビアに向かうことにした。
目指すはガンビアのバンジュールという所だ。
行き方をまとめると、
① ダカールの乗り合いタクシー広場「ガラージュ・ピキン」へ行く
② ガンビアのバンジュール行き乗り合いタクシー「セットプラス」に乗る。国境まで5時間くらい。
③ セネガル国境、ガンビア国境で手続き。(国境は隣接している。)
国境に両替所があるので、CFAをダラシに両替。ガンビアはアライバルビザがあるが、ビザ代はダラシ払い。
④ 国境から乗り合いタクシー、またはバスでバッラのフェリー乗り場へ行く。(約30分)
⑤ バッラのフェリー乗り場からバンジュール行きのフェリーに乗る。(約30分~40分)
バンジュール到着!!
8時間は見ておいた方が良いかな。取り敢えず朝早く出発した方が良さそうだ。
じゃあ、行ってみようか!!
頑張って早く起きて、私たちが和心を出たのは7時くらいだった。
タクシーでガラージュピキンまで行くことをお勧めするが、バスの43番と67番でも行ける。
私たちはちょうどバスが来て、しかも空いていたのでバスで行くことに。44番だったけど(笑)バスのナンバーはころころ変わるので、現地で確かめてね。一人250CFA. このバスも後からどんどん人が乗ってきて混んだので、でっかい荷物がある場合はやっぱりタクシーが良いかな。タクシーだと4000から5000CFAくらいかかると思うが。
バスを降りたら、ピキンまでは少し歩かなければいけないので、周りの人に聞こう。市場を通り過ぎ橋を渡れば乗り合いバスターミナルなのだが、その辺の人に聞いてもよし、ピキンまでいく地元の人も歩いているはず。私たちは何度か聞いたが、結局お兄ちゃんが連れて行ってくれた。
バスターナルは結構広い。
お兄ちゃんがガンビア行のバスが集合しているところまで連れて行ってくれた。
バスとタクシーどっちが良い?と聞かれて安い方、と言ったらこのミニバスに案内された。
お兄ちゃんが言ったタクシーと言うのがセットプラス、のことだったのかもしれない。タクシーの方が乗り心地良いし、速いけどいいの?と聞かれたが、私たちはバスがセットプラスの事と思っていた。
始めは一人5000CFAだと言われたのに、あとから荷物代1000CFA払えと言われる。
乗客のおじさんが、地元民は荷物代なんていらないのに…と教えてくれたので、はじめ5000って言ったじゃん、としつこくやりとりしていたら、そのうち諦めた。
セットプラスよりは1000CFA安くなったが、結果的にこの乗り合いバンは大!大!!大!!!大!!!!大!!!!!大!!!!!!失敗だった。
セットプラスは所謂お客さん7人乗りで一人6000CFA。このミニバン次から次へと人を押し込んで、最終的には20人近く乗っていたと思う。倍以上の人が乗っている状況を想像してみれば、それがどんな過酷極まる状況か理解していただけると思う。
お尻が半分しか付いていなくて、もう片方のお尻半分は隣の人と重なっている状態。しかもこっちの女性は太い。私の二倍以上の体格をしていて、席もその結果二人分の幅を取る。そこに倍以上の人間を押し込んでいるのだ。
ムラケンにおいては座れていない状態。
ギュウギュウどころの騒ぎではない、内臓がよじれる。
地獄だ…。
アフリカではこういった状況は結構多く、地元民は慣れっこみたいだが、本当に悲惨だった。
移動距離も長い。暑い空気とほこりが、更に辛さを加速させた。
ダカールの喧騒が無くなるのは、あっという間だった。
ほぼ茶色の景色だったが、時折民家があり、田舎の景色が広がる。
家も昔の造りだ。
車は人数過多のせいもあり、そんなにスピードがでない。というかこんなに乗せて走ることが逆に凄い。
頑張れっと車を励まさずにはいられない。
道も悪いので、グラグラと上下、左右に揺れる。
あぁしんどい…。
休憩なしで4時間ほど走り続け、なにやら桟橋めいたところに着いた。
ぞろぞろと乗客が降りていくので、休憩なのかなと私たちも降りた。
ふ~~。
ガンビアに入った旅人情報で、こんな所に停まるって情報なかったよなぁ、と思いつつ、まぁ休憩なんだろう、とこの時は思うだけだった。
この時は13時。丁度お昼時だ。
なんか食べるものないかなぁと物色したが、スナックしか見あたらなかったので、クッキーを買って食べる。疲れのせいか、クッキーが異様にパサパサ感じる。
家の造りが物珍しくて始めは暇つぶしにもなったが、一時間たっても車が出発する兆しが見えない。
もう休憩は十分じゃない??と私たちは思っているのだが、他の乗客は何の疑問も持っている風ではなく、横になったり、ぼーとしたりでのんびりしたものである。
なんとなく気づき始めた。まさかこの川を渡るのではないだろうか。そしてその船がくるのを待っているのではないか…?
予感は的中で、休憩っていうより、船が来るのを待っていたのだ。
え?何時に来るの?と聞いたら、更に一時間待つこと発覚。
なに~~!!!
落胆を隠せない。セットプラスだったら、もう国境に着いている頃なのに~!
不安が心を支配してくるが、考えてもしょうがないしトイレを探すことにした。
その辺りの人に聞き、あっちだよ、と言われた方向に歩いていく。
いくらか歩くと、おや?なんか見えてきたぞ。
まさかと思いながら、遠くにいる人にあれはトイレか?と聞いてみる。
ビンゴ!!
まぁ、なんというか、コンクリートで仕切られているだけで穴もないし、無法地帯ってかんじだった(笑)肥しになってくれ。
2時間待って、ようやく船がやってきた。船っていうより、エンジンが付いた板??一人100CFA。
あ~良かった、これでやっと進める。
この時点で15時だった。これから国境までどのくらいかかるのかは不明だが、進むことでいくらか不安が軽減される。
この時のガンビアの日没は19時半くらいで、暗くなるまでにつきたいところだ。
無事に川を渡り終え、重量オーバーの車はひたすらまた田舎道を走っていく。
渇いた茶色の世界に木々がざわめき、美しく光っていた。
再出発から2時間半、セネガルの国境に着いたのは17時半だった。
人々が折り重なって乗車していたギュウギュウのバスからやっと解放される。
国境独特の騒がしさがある。
ダカールの空港で賄賂要求されたので、ここでもあるかなとドキドキしたが、そんなことはなく無事に出国。
奥に写っているのがガンビアイミグレ。セネガルイミグレとは斜め前に向かい合っている感じである。なんか前の人々四方八方に向いていて面白い。
ガンビア側でも不安はあった。
ガンビアの国境でお金を要求された旅人さんの話を聞いていた。いくら払わないとお前は通れない、払わないなら明日来い、とか言われたみたい。その人急いでいたので一万円近く払っちゃたんだって。
賄賂要求は他の旅人さんのためにも、断固として拒否する構えでいることが大事だ。
お金の他にも、薬は持っていないかと聞かれて、あると言うと没収されてしまうらしいのだ。
それはさておき、まずは両替の必要がある。
ガンビアのイミグレの人にお金を替えてくると一言伝えて、すぐ近くの両替所ウェスタンユニオンで西アフリカCFAをガンビアダラシに両替する。ガンビアはアライバルでビザが取れるのでこの点は楽。
レートは5000CFAが390ダラシだった。
いざ!入国手続きだ!
アフリカ人は入口近くの部屋で手続きが行われていたのに、私たちは一番奥の部屋に連れて行かれた。なんで私たちだけ、奥なのさ…。もうすべてが怪しく思えてしまって嫌になる。
取り敢えず愛想良く行こう。
どこに行くかとか、何日滞在するかとか、よくある質問をいくつかされて、どこがおススメなの?とか美味しい食べ物は?とか、兎に角にこやかに会話をした。
おじさんも上機嫌ぽくて、色々教えてくれた。
荷物もチェックされたが、そこまで追求されることなく、隣の部屋に移動させられる。
隣の部屋で今度は何をするんだ?!私たちのパスポートは?とドギマギしていると、心配しないで、ちょっと待っててねと言われた。
早く開放されたい。
部屋は扇風機が回っていたが、とても蒸し暑かった。確かセネガル側は古いクーラーが苦しそうに動きながらも空調が効いていたはず。
しばらくすると、私たちのパスポートを持ってきて、そこでビザ代一人3000ダラシを支払って、パスポートに力強く、ボン!と判子を押してくれた。
とこんな感じで、ガンビアの入国が完了。
ふ~良かった。
しかし、3000ダラシって7500円くらいだからね。アフリカのビザ代は本当どこも高いよ。
外に出ると、バッラのフェリーターミナルまでのバスの運転手のおっちゃんが声を掛けて来てくれたので、スムーズに乗車。
そのバスは、これこそセットプラスと思われる、椅子フカフカ、広々としたものだった。一人50ダラシと荷物代10ダラシ。
約30分でバッラに到着。
やっと着いたはいいが、もう19時を回っていた。今日の予定はここからフェリーに乗ってバンジュールまで行くことだったが、当初の予定よりもかなり時間が押していた。
太陽はだいぶ傾いていて、すぐに暗くなりそうだ。アフリカにおいて日が陰りだしてからの外出は避けた方が良い。ちょっと暗くなってきたなぁ、という時刻も避けた方が良い。
キツイ移動で疲労も出ていた。
更に追い打ちをかけて、ムラケンの体に異常が起こり始めた。
胃?背中?が痛いと言って顔をゆがませ、歩くのもやっとっていう感じだ。
マジか!と思いながら、もう暗くなりそうだし移動は無理だと判断して、丁度話しかけてきたおじさんに、ここで一番綺麗な宿に案内してくれと頼んだ。
バンジュールまで行ければ観光客相手の宿もあろうが、ここバッラでは見込みが薄かったので、綺麗な、を強調した。
近くに二つ宿があるらしく、ここよりあっちの方が良い、と言ってひとつめの宿のちょっと行った場所の宿に連れて行ってくれた。宿の外見は、一つ目も目の前も、どちらも宿とは呼べる代物ではなかった。
部屋も見ての通り、小さい窓があるだけで薄暗く、お化けがでそう。
むしろ薄暗くて汚さがあまり見えなくて良いのかもしれないが…。
入口は前にカーテンがかけられてはあるが、ドアっていうより鉄格子で、鍵もデカい南京錠だった。
牢屋ってこんな感じなのかなと思わせる雰囲気。
ここが一番綺麗な宿か…。
トイレには、アフリカあるあるだが、便座がない。体重がある人が多いから割れてしまうことが多いのだそう。
勿論水シャワー。水洗だが、すぐに壊れるので、その時はバケツに水を貯めて勢いよく流すと流れる。これ、アフリカではよくあることなので、覚えておくと便利(笑)
当たり前だが、Wi-Fiなんてあるわけがない。アフリカではSIMを必ず入れておいた方が良いかもしれない。
こんな所で500ダラシ…。
だが、ムラケンは痛みがどんどん増しているらしく、もう息も絶え絶えだ。
どうこう言っている場合ではなかった。
ベットに虫が居そうなので、自分たちのトラベルシーツを敷いた上にムラケンを寝かせ様子を見る。
休んで良くなればいいが、そう願った。
だが、ムラケンの痛みは増し、症状は悪くなる一方。
不安に心が支配される。
祈りも空しく、しまいにはムラケンの体が痙攣し始めた。
ムラケンも自分に起きている状況が理解できず恐怖で一杯だ。
制御不能の震えが全身を激しく襲い始めた。
ムラケンの意識が遠のく。
嘘でしょ。目の前に起きている現象が信じられなかった。
心臓がバクバクいった。
宿のスタッフを呼んで、ここいらで一番大きい病院に連れて行ってくれ!と頼んだ。幸いにも大きい病院はあるらしく、すぐにタクシーを呼んできてくれた。
タクシーの兄ちゃんは状況がすぐ読み込めたらしく、すぐ近くだから大丈夫だよ、と車を飛ばしてくれた。
病院は車で5分ほどの所にあったが、野戦病院みたいなところだった。
ここ?!
外には幾人か寝ている人がいる。
勿論空調なんて完備されていなくて、マラリアを持っていそうな蚊がブンブンしていた。
だが、今日はここで診てもらうしか仕方がない。
ムラケンはベットに寝かされて診察を受ける。
ベッドは綺麗だ。幸いにも病院に着いて少し不安が和らいだのか、いくらか落ち着きを取り戻し、体の痙攣は収まった。
意識もハッキリした。
先生は軽く診察して、いくつか質問した後、よくわからない、と言った。
え、血液検査とかしないの?あっでも院内感染とかありそうで怖いなとか思っているうちに、
ずっと食べずに長距離移動したことによって胃が痛くなったんでしょう、胃薬だしておきます、と言われた。
え~胃痛って、尋常じゃない感じだったけど…。
ムラケンは胃痙攣だったのかな、と話せるまでになったので、少し安心した。
痛みも和らいできたようなので、少し休んで今日は宿に戻ることになった。
タクシーの兄ちゃんは待っていてくれていて、薬を受け取る薬局まで案内してくれた。
しばらく休んだ後、兄ちゃんに送ってもらって宿に帰った。
料金は要らないよ、と言ってくれたが、気持ちだけ渡して別れた。
色々気遣ってくれて良い人だった。
病院も病院だけど、こんな宿でゆっくりもできまいと思ったが、処方された胃薬を飲んで、ムラケンは大分痛みが無くなったようだ。
本当に胃痛だけとは思えないが、痛みが和らいだことにほっとした。
だが、どこか設備が整ったところで再診する必要がありそうだなとも思った。
う~~ん。心配事がまた一つ増えた…。
気分は、弱い光の豆電球で照らし出されている薄気味悪い部屋と同調した。
自分の体勢も確保できないバスなんかに乗ったことがまず間違いだったと、後悔した。
こういう緊急事態だと、保険会社に近くに施設が整っている病院があるか聞く暇もない。 緊急じゃなかったとしても電波状況も悪く、ちゃんと電話できるかも心配だ。
というか施設の整っている病院が存在するのは、大使館の人も使うであろう都心でしかありえないだろう。都心の病院でさえ怪しい国もありそうだ。ましてや、ガンビアのようなマニアックな国で、もしくは田舎で、今後また緊急事態が起こったら…。
ガンビアは英語圏だったからまだしも、違う言語しか通じなかったら…。
また病気にかからないともいえない、アフリカの病院事情に不安が膨らむ。
やはり、なかなかアフリカは手強いな。
ほとほと疲れた一日だったが、いろんな事が気になり、しかも部屋が怖すぎて私は一睡も出来なかった。
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