この記事は、2017年7月1日~4日の出来事です。
パリメの平和な日々で英気を養い、そろそろ北の隣国、ブルキナファソに移動しようということになりました。
パリメの位置からして、直接ブルキナファソに向かうのが効率の良い移動方法かと思ったのですが、直接ブルキナファソに入る交通手段が見つからず、宿の人に訊いてもやはり首都のロメに戻るしかないという回答でした。
ロメからパリメに来た時と同じ方法でロメのバスターミナルに戻ります。
パリメのバスターミナル周辺。ここからロメまではシェアタクシーを利用します。ちなみに宿からここまで徒歩でおよそ20分。汗だく。今思えば100円くらいでバイクに乗れるのでケチり損のような気が。
ロメまでの距離は約125キロです。ロメにいた時にホンダさんが利用していた宿まで連れて行ってもらうことにして、シェアタクシー代はひとり2,350セーファ。500円弱です。
ロメの宿「My Diana Guest House」エアコンの無い部屋で一泊8,000セーファ。パリメのエアコンの効いた快適な宿と同じ値段です。こんなところでも地方格差を禁じ得ません。
ロメに戻った我々のなすべきことは、ブルキナファソの首都「ワガドゥグ」への移動手段の確保です。
ロメにある国際バス会社をいくつか調べてみると、CTS、TCV、FTSの3社が候補にあがりました。ちなみに、原則ネット予約みたいな便利なものはありません。少なくとも我々がいた2017年当時は。
グーグルマップにバス会社の場所くらいは記載されているので、それを頼りにオフィスに直接出向いて時刻表や値段を聞きます。
夕方に出るバスもありましたが、移動時間が読めないことに加えて、国境を超える時のタイムロス(西アフリカでは周辺国民はすんなり通れるけれど他の大陸からの来訪者は「初見殺し」もあったりして時間が掛かることがある)を考えるとやはり、早朝に出発するバスの方が良さそうということで、朝の4時半に出るFTSを利用することにしました。
ロメからワガドゥグまでのバス代はひとり14,000セーファ。2,800円程です。
出発の日が3日後だったので、ロメの宿を3泊とることになります。
ひとまず次の見通しがたったのでビールで乾杯。
それはそうと、アフリカ飯に飽きてきてない?ということで、晩御飯にホンダさんと3人で中華料理店に行くことになりました。中華って、ホントどこにでもある。Le Deijingというお店でした。
アフリカ飯に比べて5~10倍くらい高いのに、ちゃんと中国人がいて運営出来ているから大したもんですよね。
神々しい。複雑に料理されてる!
考えてみると、アフリカ飯は一人暮らしのめんどくさがりな大学生が作る料理って感じだなぁ。
やっぱりその点セネガル料理は独自性を保ちつつ、比較的きちんと料理されていました。
炒飯2,500セーファ、麻婆豆腐5,000セーファ、餃子3,500セーファ、チンジャオロース5,500セーファと、現地の物価から鑑みれば何を選んでもめちゃくちゃ高い!けど、やはり美味しい!
ひとりあたり2,400円分くらい飲食して、久しぶりの贅沢を堪能しました。
移動日当日は、バスの出発1時間前(ちなみにこれはかなりの余裕を持たせた時間)にタクシーが来るように宿の人に手配してもらいました。午前3:30という早い時間に本当にタクシーが来てくれるのか、そういうことが逐一不安なのが西アフリカですが、ちゃんと来てくれました。それどころか頼んでおいた時間に早くもなく遅くもなくちょうどやってきてくれて、感心しました。そのお陰でバス乗り場への到着が早すぎて手持ち無沙汰になったけど(笑)
ちなみにタクシー代は一人あたり2000セーファ(約400円)。
到着直後の様子。ここはバスターミナルではなく、バス会社FTSのオフィス前です。空がほんのり明るいのは夜が明けてきているのではなく、周囲のライトが雲に反射している状況がカメラの設定のために現況以上に明るく写っているだけです。実際は真夜中のためもっと暗いです。
ちなみに黒人は、暗闇に紛れると冗談抜きで本当に見えなくなります。いつぞの夜闇に突然スマホの光が現れて悲鳴上げたことがあります(笑)
さて、意外とバスを待つ人数は多く、サンドイッチやコーヒーを売っている人もいました。コーヒーは飲みたいけど利尿作用があるので長距離移動の前には避けるべき。コーヒーは口にしませんでしたがパンは朝食用に購入。
バス内の様子。座席とかヘッドレストとかの清潔さは期待できませんが、自分の場所が確保されているだけで贅沢は言えません。
トランク内に預けている大きい荷物は心配ですが信用するほかなく、手持ちの荷物はファスナーに鍵をかけ、更に荷物全体をワイヤーで座席の固定部分とともに括りそれにも施錠し、脚で挟んでおきます。なお、小休憩などでバスを降りるときは当然すべて外して荷物を持っていきます。やや面倒。
万琵発案で当初はちょっと過剰な気もしましたが、油断しやすい僕の性格からしてこのくらいしておいた方がいいのだろうし、抑止力にもなります。
ロメはトーゴの南端にあるため、バスはトーゴを完全に縦断して北に接するブルキナファソに向かいます。予定では暗くなる前に到着するとのことで、目的地のワガドゥグまでは約16時間といったところでしょうか。日の長い季節とはいえ、ちょっとギリギリ。予定通りに着いてくれるといいなぁ。
寝てる間に太陽が昇り、田舎道をひた走ります。どうやら雨上がりのようで、窓ガラスや道が濡れていました。川の水嵩も増してる?いつもの様子が分からないけれど、大きい川の割には土手や堤防が設けられていないあたり、アフリカらしいというべきか。
町らしきところも通ります。
予定通りっぽい時刻にトーゴ・ブルキナファソ国境管理所に到着しました。ちょこんとした建物が幾つかあるだけで本当に国境管理所なのか怪しいくらい質素な風景でした。
FTSの人が親切に「こっちの建物で出国、そのあとあっちの建物で入国だよ」と教えてくれ、外国人は我々だけのようだったので、ついてきてくれました。ビザはベナンで予め取得していたし、変なワイロを要求されることもなく、出入国は滞りなく済みました。トーゴは全体的に親切な人が多い国なのです。
片やブルキナファソ。
ホンダさんの情報によると、アジア人を見かけるや「シノワ、シノワ」と声をかけてきて(Chinois、中国人の意)馬鹿にするそうです。
中国人、と言われるだけなら馬鹿にされてる気はしないのですが。彼らが知る中国は、若かりし頃のジャッキーチェン映画のイメージしかなく、酔拳とかで表される生活風景が未だに営まれていると思っているそうです。井戸から水を汲み、貧しく、食料の確保にも難儀する。
雨が降れば雨漏りするような中国人の生活は、西アフリカの彼らにとって「俺らより下の奴ら」と認識しているとのことです。俺たちは車やバイクに乗って、スマホだって持ってるんだぜ!
彼らのステータスの象徴にもなっていて、後生大事に持っているスマホの裏には「メイドイン・チャイナ」と書いてあるところまでは見ていないですね。
一方で西アフリカ諸国には中国企業がかなり進出してきては中国人が赴任し、しかしながらアフリカ人の雇用は生まないそうです。我らの土地に無断で入ってきて何の恩恵も寄越さない中国人を嫌うのも、気持ちは解らんでもないが勝手にやってくれと思う次第です。
国境を越えてブルキナファソに入りましたが景色は当然のようにあまり変わりません。
しかしながら国の宗教は変わります。ベナンやトーゴはキリスト教でしたがブルキナファソはイスラム教。タブーや習慣が変わるのでそこは気を付けないと。
牛がガリガリに痩せています。
日が傾いてきてそろそろ到着かな~と期待して地図を見るも、まだ暫くかかりそう。これは予定よりだいぶ遅れてるな。
そうこうしている間に完全に日は落ち、時折現れる街灯とすれ違う車のヘッドライトばかりが外の様子を照らし出すのみで不安感が募ります。
ようやくワガドゥグらしき大きな街に入ったので地図を見ながら進みます。
キリスト教が運営する宿はそこそこちゃんとしていて安心できるらしく、予約はしていないけれども予め決めておいたミッション系宿の付近を通ったので、そこでバスを停めてもらって降ろしてもらおうという算段でドライバーに声を掛けました。
ところが「No」の一点張りで全くバスが停まらず結局バスターミナルまで走られてしまいました。なにか理由を言っていたようだけどそれを解するほどフランス語が出来る者は我々の中にはいませんし、英語で通訳してくれる人もいませんでした。その時はただ、なんだよチクショーと思っていました。
ようやく到着。タクシーに宿まで連れて行ってもらいましょう。
さっきバスで通った道をタクシーで引き返すのはなんだか癪ですが、とりあえず身を落ち着ける場所に向かっているので良しとしましょう。
到着した宿は「Centre d’Accueil Missionaire Notre Dame de Lorette」名前なっがい。一泊11,000セーファでした(約2,200円)。ちょっと高いけど今から他を探すことなど不可能だし、ミッション系を信用して安心料と思ってここに宿泊することにしました。
部屋は広く、こざっぱりとしていて清潔感がありました。なかなか良いではないの。お腹が空いていたので宿の近くに途中で見えた、宿から徒歩3分くらいの、まだ明かりのついていた店に入ることにしました。
音楽は鳴っているけど人の気配がない。本当に営業してるのだろうか。
ロウソクの明かりで照らされたパンとプロシェット。3,000セーファ。空腹には十分美味しかったけど、物足りないし、高い。軽くお腹を満たしてのち、もう寝よう。
後日のホンダさん曰く「このとき食べ物探して外に出たのは迂闊だったかもしれません。大通りに車も通ってなかったし、人も全然歩いていなかった。そこでどんな奴に襲われたとしても不思議じゃなかったかもですね。バス移動のときに、暗くなってから道に放り出さなかったのは、治安面の心配があるからで、彼らの親切だったんじゃないでしょうか」
言われてみれば確かにそうだ。初めて入って様子の全く分からない国にも関わらず、軽率な行動だったかもしれません。
更新情報はツイッターでも。bambi_handstand
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この時滞在していた宿はコチラ⇒Centre d’Accueil Missionaire Notre Dame de Lorette