絶景舞踏

旅記事390 友との別れ、そしてヨーロッパへ・・・(逃亡)


この記事は、2017年8月中旬の出来事です。

コートジボワールのアビジャンで強盗被害に遭ってから、失ったパスポートの再発行までの約2週間、我々は渋るホンダさんを口説いて比較的安心できる地区のちょっと値の張る宿に滞在していました。

その地域はココディ地区といういわゆる高級住宅地で、その地区に入るにはゲートを通らなくてはなりません。ゲートには常に誰かがいる、というわけでもないのですが、軽い気持ちで悪さしようという輩にとってはある種心理的抑制となるのではないかと思われます。

狭い地区ではあるものの、こぢんまりした商店もあり、野菜や果物を売る人もいて、飲み水やパンに挟む具なんかを入手するだけなら地区内で事足りますが、主食やタンパク質系食品、生活用品や嗜好品などは流石に手に入らず、外の地区のスーパーに行かなくてはなりません。ちなみに果物屋のおっさん、万琵が買いに行った時だけアボカドとかおまけしてくれるみたいです(笑)

移動は必ずタクシーを使うことにしました。ゲートの外には割とすぐにタクシーが駐留しているエリアがあり、そこで捕まえることが出来ました。だいたい片道で1,500セーファ。300円くらい。

SOCOCE

西アフリカではかなり都会のアビジャン。さすがにこの辺はアーバンです。これはソコセというスーパー。大きな道路に面していて、タクシーエリアも近くにあるので帰りも苦労はないでしょう。

何度かここに通ううちの1度だけですが、タクシーに乗っていて渋滞待ちをしているとき、路上販売らしき若者二人が寄ってきて「シノワ~シノワ~」と言われました。これはフランス語で中国人を意味していて彼らにとって中国人はヘイトの対象であり身分が自分たちより下であることを指している揶揄の言葉のようです。「僕ら日本人だから」とかは関係ありません。まぁ相手のことをよく知りもせずヘイトをまき散らすなんてのは日本でもよくあることですし、そういう奴ほど声がデカいのも共通ですね(笑)

今まで散々、アフリカではアジア人差別があると聞いていましたが、ハッキリとこちらにそれが向けられたのは実はこの時が初めて(ほのめかしなら時々ありました)。ようやく事前情報どおりの出来事が起こってなんかちょっと新鮮でうれしい気持ちになっていましたが同席していたホンダさんが「ここは吠えておいた方が彼らのためですよ」と言って本当にぐわおーって吠えていました(笑)

カレーとビール

マルチクッカーで米を炊いて、カレーを作ってビール飲むという贅沢な暮らし。買ったブロックの牛肉はそのまま調理すると歯もナイフも通らない硬さのため、レモンスライスをこれでもかとペタペタ貼り付けてラップして一晩冷蔵庫に置いておくという下処理をしてようやく人間用になります。酵素すげー。

また、ガンビアで発症し、その後も時折症状が出ていた謎の背中痛も、強盗で大きな病院に通ったついでに検査してもらうことにしました。ヨーロッパの病院行けばいいじゃんとお思いでしょうが、僕たち遊びで忙しいんで、こういう暇な時がベストタイミングなのです。

今まで体幹部分の痛みというのは肋間神経痛と、折れた肋骨のまま中華獅子舞を演じたときくらいでしたが、この背中痛がぶっちぎりで痛かったです。フランス人の医者がシフトに入ることがあって、そのタイミングでエコー検査してもらいました。その医者は帰る時間だったのですが僕のために仕事に戻って検査してくれました。ありがたい。

結果、異状なし。異状なーし。えほんとに?

異状なしと言われたことのプラシーボ効果もあるのか、アフリカを離れて以降は一度もその症状が出ませんでした。やっぱ単なるストレス?僕自身ストレスを自覚することは他の人に比べて少ない方だと思いますが、アフリカでのストレスは尋常でないということでしょうか。

それとイエローカードの再発行も必要でした。獲られた財布の中に入っていたイエローカード、つまり黄熱病のワクチン接種証明書がないと、いろいろな所で出入国出来ないケースがあるため意外と重要なもので、再発行してもらうべく感染症センター的な病院にも行きました。が、接種したことを証明できない以上、カードの再発行というのは出来ず、結局は黄熱病ワクチンを再接種することになりました。大丈夫なの?1回でいいワクチンを2回も打つのって。

そういうことをしつつ、パスポートの再発行が完了したため、我々は一路、ヨーロッパへ高飛びすることにしました。元々はアフリカを西側モロッコから入って一周してエジプトから抜けようなど考えていましたが、もうアフリカはしばらくいいや。そのうちエジプトやナミビア、マダガスカル、ヴィクトリアの滝辺りには行ってみたい気もしますが。

ホンダさんはというと、新たにビザを取得することが出来たので、東の隣国ガーナに移動するとのこと。寂しくなるけどここでお別れですね。

ホンダさんとの最後

お別れの日の写真。余った食材などを提供しつつ、今後の旅の知恵を授かっていました。ホンダさんは空路を一切使わず西ルートで日本からここまでやってきていた猛者なので、これから我々が訪れるかもしれない国のことや、お得な通信手段のことやカメラのことなどとても重要なことを教えてくれました。日本から持ってきていた海外ローミングが出来る国際SIMなど、結局要らないってことでした。

この西アフリカでホンダさんに出会ってからというもの、我々の精神的支柱にもなっていたところもあり、彼との別れはなかなかに今後の不安や心の余裕の欠落を感じさせました。心の余裕の無さは他人への依存心や怒りに転嫁しやすいため、常に心には余裕を持たなくてはなりません。万琵と僕の二人だけになるけれど、ケンカしないで旅を続けられるように努力しないとですね。細かいところは僕がやるので万琵は僕を頼ってくれているけれど、僕が死にかけたとき彼女は僕の命を2度も救ってくれているので、互いをフォローしあって楽しくやっていこうと思うのでした。まぁ、これから行くところは少なくとも西アフリカより清潔で安全なのだしね。大丈夫でしょ。

ということで、いざヨーロッパへ。向かう先はポーランドの地方都市、ポズナンです。

アビジャンからの直行便はないので、リスボン空港を経由してプラハの空港へ、プラハのフローレンツバスターミナルから夜行バスに乗ってポズナン、という経路になります。ポルトガルとチェコとポーランドに入るのでややこしいですが、シェンゲン協定があるため国内移動の感覚で行けます。

あとは移動なので駆け足で。

リスボン空港に到着

リスボン空港に到着したところ。街の明かりがとても綺麗ね。

ちゃんとしている!

保安エリアのショッピングモール。一言で「ちゃんとしている!」感動。

リスボンのラウンジ

リスボン空港のラウンジ。ここで夜を明かし翌早朝にプラハ空港に飛びます。

コーヒー飲み放題

ポーションによるコーヒーメーカー!これで淹れるコーヒーはインスタントより美味しいんですよね。ゴミが増えるから家では買ってないけど。

夜の滑走路

夜の滑走路。管理されたコンクリート砂漠が、今は癒しです。

プラハ空港からすぐ移動

プラハの空港に着いてすぐに、メトロでフローレンツバスターミナルに移動します。

プラハのメトロ

プラハのメトロ車内。

フローレンツバスターミナル

フローレンツバスターミナルに到着。ここでポズナン行きのバスチケットを買います。早朝でしたが、ここで夜まで待ってからの移動ということに。荷物を預けるところもあるので、時間つぶしにどこかに行ってもいいのでしょうが、プラハは全くのノーマークだったためどこに何があるか全くわからず、その辺をうろつくだけになりました。

バーガーキングもあるよ

バスターミナル内にはバーガーキングもありました。アビジャンで強盗に遭った理由の一つなんでしょうが、また食べたくなっちゃう。

バスターミナルを俯瞰で

バスターミナルを俯瞰で。遠くに見える古都感がいいですね。

ポルスキーバス

ポルスキーバスという会社のバス。西アフリカで利用していたバスのクオリティとは大きく異なり、清潔です。ジャンクロードヴァンダムの映画はやってなかったけど。

ポズナンに到着

ポズナンに到着。早朝のため街がまだ寝ぼけた状態です。

これでアフリカ大陸と完全に離れました。次の記事でコートジボワールを振り返りますが、

絶景舞踏アフリカ大陸編、完!


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