登山の後、ツカツクリの温泉卵(ハードボイルド)を食べて喉を詰まらせつつお腹いっぱいになった我々はガイドに取られた20キナに釈然としないまま次の目的地に向かうのでした。といってもドライバーのアモスに任せっきりなので僕たちは次にどこに行くのか知りません(笑)
走り出してすぐにアモスは「この辺りが空港の跡地なんだよ」と教えてくれました。かつて旧日本軍が使用して、その後民間の飛行機が離着陸する空港でしたが、前の噴火で跡形もなくなっていました。「ちなみに今走ってるのが滑走路ね」って、、言われないと分かんないなぁ。現在の機能はココポ空港に移転しています。
走り始めて5分程、何もない草っぱらでアモスが車を止めました。なんだ立ちションか?と思ったら「ここにヘリコプターが落ちたんだ。」草原の奥まで行ってみると、
あった!近づかないとそこに鉄塊があるとは気づけないほどありのままに柵も看板もなく、ただ70年間放置されたといった感じで佇んでいました(多分誰かが整理してくれているとは思います)。落下の衝撃で地面は窪み、月日が植物を茂らせていて、撃墜されたヘリコプターを葬る自然の墓穴のようになっていました。
ヘリコプターには花が咲いていました。
しばしこのヘリに思いを馳せ、少し合掌し静かに立ち去るのでした。そしてあることに気がつきます。
「あれ、ここって入場料5キナじゃなかったっけ?誰もいなかったから払ってないけど。」
そのあとは戦没者記念碑を訪れました。ここは度々日本人がお参りにやって来るらしく、かなり綺麗で整然としていました。
入口というワケではありませんが、正面。
裏側にはこのような説明文が英語・日本語・おそらくピジン語で書かれています。
面取りされた大理石のオブジェが設置されていました。なんの説明もなくここにありましたが、そこになくてはならないような不思議な雰囲気を醸し出していました。丸さとマーブル模様のためか、妙に落ち着く造形物でした。
「ヤマモトバンカー」といわれている場所にやってきました。海軍司令部があり、総督山本五十六が過ごした場所であると言われています。ちなみに「ニューギニアクラブ」という士官の食堂も残っており、博物館になっています。アモスも興味津々です。
食堂前の機関銃。今は錆びつき、銃口の先には木々あるのみです。
博物館に入ってみましょう。
いきなりドーンと!撃墜されたゼロ戦が!貴重な資料であるにもかかわらずパイプ椅子的なのに置かれています。この辺がパプアらしいですね。
因みに『Don’t touch!』と書かれているものは手前にあったワニの頭蓋骨だけで、あとは触ってオッケーのようです。管理人もパイプ椅子に足を引っかけちゃって、ゼロ戦持ち上げて椅子の位置直してたし。アモスもゼロ戦をさわさわしてました。
ついでに僕も・・表面は当然錆びていて仕上げに使う目の細かいサンドペーパーのような肌触りでした。驚いたのはそのボディの薄さ!これだけ薄ければ軽いし速く飛べるのも分かる気がします(管理人のじいちゃんが尾翼部分を持ち上げるくらい)。それだけに非常に脆い印象も受けました。
この写真は1914年に撮影されたトゥブアンです。なんと、こないだ見たトゥブアンは100年前からちっとも変ってないのか!ということは水木しげる氏もこのデザインのトゥブアンに会ったんですね。心なしか現代のトゥブアンの方が足が長い気がします・・・100年で人間の形質の方が変化しているとは驚きです。
そしてこれ。バイニン族のマスクの裏側です。布と竹で出来ていたんですね。大きなマスクを被ってファイヤーダンスをするのですごい重くて大変なんじゃないかと思っていましたが、軽そうで何よりです。
では、ヤマモトバンカーに入ってみましょう。バンカーとは地下壕です。入る前に「10キナだよ。」と近くのおっさんに言われました。博物館で払っていたのでその旨を伝えると「じゃ入っていいよ。」と言い、持っていたスマホで僕らを写メっていました。こっち向いてとか、撮るよ~とかもなかったので多分アホ面で写っていますが、彼にとってそれでも記念になるんでしょうか?
暗く蒸し暑く、地下特有の閉塞感があります。なにより嫌なのは蚊が非常に多かったこと。パプアは全土でマラリアが常駐しています。最奥部に作戦本部があるのですが「この場所で待機!」とか言われたらベープが幾つあっても足りないです。この蚊のストレスに耐えうる精神力は我々にはありません。
壁には現役の自衛隊員の方が記した署名とか、ご遺族の方の署名とかがいくつかあり、遠い日本から今でも思われている場所なのだと実感することができました。
でもこの先は怖い。「この先で待機!」と言われても僕はイヤイヤイヤイヤってすぐ階段降りてきちゃう。
作戦本部内。バンカーの最奥部にあり、直径1,5メートル程の非常に狭い円形の空間でした。ここで話し合われ、指示が飛んだのでしょう。
地下室の奥のため空気の流れがなくサウナのような暑さと湿度に加え圧迫感と閉塞感が満ち満ちていました。こんな空間に何時間もいなくちゃならないことを想像するだけで当時の非情さを思い知ります。
坂を上っていく途中でアモスが「ここがトンネルだよ」と車を停めました。旧日本軍の塹壕です。こんな道の途中にあるのね。見るとポコポコと壁に穴が空いています。中に入ってみます。
何もなくただ開放されているので中は落書きだらけですが、それでも奥の方は静かでひんやりしていて軽い気持ちで入れるような雰囲気ではありません。落書きも手前までしかありませんでした。
塹壕辺りの万琵の写真うつりが2枚とも何かの影響でちょっとアレンジされていますが、多分悪いものではないでしょう。その証拠に、
アモスが別の穴から飛び出してきました。ドライバーがこんなに楽しそうですから大丈夫。
そしてその坂を上りきると「Robin Cooke & Elias Ravian」の記念碑が立つ丘に辿り着きました。
ここの景色は絶景!
左に見えているのが先ほど登ってきたタヴァルヴァル火山です。静かで鏡のように空を映す入り江の水と、その被写体としてある空の姿。緑も船も家も花も、とても美しいです。
遠くからでも存在感の大きいタヴァルヴァル火山。
次は後半戦!まだまだアモスも楽しむよ!仕事だけど!
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この時滞在していた宿はコチラ⇒Taklam Lodge⇐タクラムロッジのHPが無くなっていました。パプア旅行の際にお知恵をくださったPNGジャパンさんのHPから、ホテル&リゾート⇒ニューブリテン島⇒ココポ・ビーチ・バンガロー・リゾートというホテルを確認できます。そのホテルがタクラムロッジの親玉です。
スカイスキャナーでラバウル行航空券を調べて、購入まで出来ちゃいます。